BLOG

ブログ

【今回の調査成果の意義】

「世界遺産姫路城」といえば、一般的には大天守及び小天守に象徴される建物群が
イメージされるのではないでしょうか。しかし、これらは城の中枢部である内曲輪にあり、
実際の姫路城ではその外側に中曲輪、外曲輪が配置されていました。
中曲輪と外曲輪を区画していた中堀は、明治時代以降に姫路の市街化により一部が埋め立てられ、
国道2号も堀を埋めた上に位置しています。今回の発掘調査では、中堀とその南面石垣の一部を発見しました。
すでに市街化された風景の地下に、本来の姫路城の姿が良好に保存されていることを
改めて認識できるものとなりました。

【姫路城と今回の調査地】

世界遺産姫路城は、池田輝政により慶長6年(1601)から同14年までかけて平野部と独立丘陵である姫山・
鷺山を利用して築城されました。姫山・鷺山を囲うように内曲輪・中曲輪・外曲輪を配し、
それぞれの曲輪を堀で区画しています。内曲輪には天守群並びに居館や蔵、中曲輪には主に武家屋敷、
外曲輪には町人地・寺社地・武家屋敷等が配置されていました。今回の調査地は
中堀のすぐ南側の外曲輪内に位置し、城下町絵図によると江戸時代を通して町人地になっていました。

【調査の成果】

姫路城中曲輪と外曲輪を区画する中堀の南面石垣を発見しました。今回見つかった石垣は、
東西延長16.4m分で、高さは2段から3段分を調査しました。石垣はさらに下に続きますが
全体の高さは不明です。石垣の積み方などから、江戸時代以降に何度か積み直しを行っている可能性もあります。
あわせて、中堀以南の外曲輪にひろがる町屋の遺構も発見しました。各屋敷の敷地境を示す石列からみて、
少なくとも4軒分の屋敷地があったものと考えられます。中堀石垣とその背面の町屋遺構を
同時に発見した調査事例は姫路城城下町跡では初めてのことです。
中堀は、明治45年(1912)から昭和7年(1932)に複数回にわたって埋め立てられました。
今回の発見は、明治時代以後の姫路の街の近代化・発展のために
長い眠りについた中堀石垣が私たちの前に姿を現した貴重な成果だといえます。
なお、調査終了後、石垣は現地保存されます。

 

12月2日から27日まで埋蔵文化財センター1階ロビーにおいて、今回の中堀石垣の調査成果を紹介します。
あわせて、令和2年に実施した主要な発掘調査成果についても展示を行います。

展示遺跡
・姫路城跡第437次調査(本町) 姫路城下町一等地の調査
・姫路城跡第440次調査(神屋町六丁目) 姫路城外堀石垣の調査
・小婦方遺跡(花田町加納原田) 弥生時代・平安時代の集落跡の調査

調査区全景(真上から)
https://www.city.himeji.lg.jp/shisei/cmsfiles/contents/0000014/14779/uchikannzenkei2.jpg

調査区全景(北から)
https://www.city.himeji.lg.jp/shisei/cmsfiles/contents/0000014/14779/uchikanisigakizennkei1.jpg

関連記事一覧

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。